芝紅葉を駆って。/向き合うか、逃げるか。
ん〜。。。深いです。
お言葉に、感謝です。
ここ数日、まろんが頂戴した素敵なお言葉の数々を、勝手に掲載させていただきます。
「宗教信じるぐらいなら、イワシの頭でも信じてなさい!」@M姉さま
「いつかまろんちゃが年をとって、ひとりだったら、一緒に暮らしてあげるから」@Y姐さん
加えて、先ほど、競馬道で大変お世話になっているお方から、お言葉を頂戴しましたm(_)m
厳しい言葉なんです。
本当に。
でも、暖かいんです。
もしかしたら、まろんは、半分ぐらいしかちゃんと理解できていないかもしれません。
だけどそれでも、また、泣きそうになりました。
その言葉を、ここに転載させていただこうかと思ったんですけど、今はまだ、まろんがその言葉を背負いきれないから、断念しました。
私は臆病者です。
でも、いつか。。。と思います。
Mさんへ。
本当なら、感謝の手紙をすぐにでもお送りしたいのですが、まろんにはまだ、その余裕がありません。
でも、必ず、もう一度立ち上がります。
ありがとうございました(^^)
☆★☆
Mさんのお言葉を、今日だけで20回ぐらい読み返しました。大げさでなく。
でも、まろんは、まだまだ未熟者。
『人生』『死生観』といった巨大なテーマを、真正面から『受け止め続ける』ことは、やはり難しいみたいです。
常に背負ったままでは、生きていくことが出来ないというか……。
多分、同じことばかりを考えて生きていくことになってしまう。
それはどうなんだろう? と。
例えば、集中しないと出来ない事ってありますよね?
仕事にしても、遊びにしても。
そんなときでも、集中しきれなくなるというか。
そういう部分を、上手く出し入れできるのが大人、って事なのかなぁ。
見つめる事と、忘れる事、両方を使い分けること?
それとも、そういうテーマを背負い慣れることが必要なのかな?
などなど、いろいろ考えています。
宗教って言うのは、そういう意味では、本当に便利なものだなぁ、と。
今のまろんには、必要じゃないですけどね。
でも、5日前あたりなら、かなり欲しかったかもしれない(苦笑)
でも、昨日あたりから、ちょっとした変化がありまして。
今月の頭ぐらいから、数日前までは、何をやっても嬉しくなかったんですね。
それが、今日あたりから、嬉しいとか、楽しみとかいう感覚が、じわりと蘇えってきています。
たとえば、恩田選手のフィギアスケートを見るのが楽しみだったり、体重計に乗るのがなんだか嬉しかったり?
数日前、まろんが、「軽度の鬱状態」と診断された『鬱度チェック』
http://www.lonely.to/nntchk.htmlなるものに、こんな項目がありました。
私は特に不満足ではない
ほとんどいつも退屈している感じだ
以前のように物事に楽しみが持てない
何事にも、もう満足感が得られない
全てのことが不満である
これが、先週あたりの気持ちだと「何事にももう満足感が得られない」だったんですけど、今ならば「以前のように物事に楽しみがもてない」ぐらいに回復してる感じ。
全体で見ても、評価は『ややストレスがたまり気味だけど健康』になったし(^^)
まだ、何かを見つけたわけではありません。
でも、なんていうのかなぁ。。。慣れ?
どんなことにも、慣れっていうのはあるんだなぁ、って。
悩む事になれたというか、ストレスに慣れたというか?
良くわかんないんですけど、そういう部分は少なからずあるような気がしています。
もちろん、皆様の励ましのお言葉に支えられてのことだと、感謝しております(^^)