命日に思う

今日は、サイレンススズカの命日です。

 とても覚えやすい日に亡くなったので、毎年、1が並ぶたびに彼のことを思い出してしまいます。
 まろんの家でお世話になっているお寺の和尚さんは、祖父母の7回忌の折り、こんな話をされました。
『亡くなった方にとって一番の供養は、その人のことを思い出して、みなで語りあってくれることです』と。
 なので今日は、サイレンススズカについて、少々。
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 平成10年11月1日、東京競馬場第11R、秋の天皇賞で、断然の1番人気を背負って、1枠1番から飛び出したサイレンススズカは、なぜか1番人気が勝てないというこのレースのジンクスを破るべく、11年ぶりの1番人気での制覇へ向けて、後続をを大きく引き離して4コーナーを迎えます。
 本当に、不思議なぐらいに『1』ばかりが並んでいた、このレース。結果も彼の1着で締めくくられたのなら、究極の『ピンゾロ』だったのでしょうが……。
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 レースは、いつものように疾走するスズカの独走で、3〜4コーナーの中間を抜けて、いよいよ大欅にかかります。
 このレースは2000mのレースで、その地点で、残り600m。
 そこまで来て、まだ200m近いリードがある。
 騎乗していた武豊騎手は、『これは凄い勝ち方になるぞ』と思ったんだそうです。
 が。
 彼のレースは、そこで終わってしまいました。
 サラブレッドにとって致命傷となる、大きな怪我をしてしまった彼は、レース後、安楽死の処分が取られました。
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 友人と酒の席で、『最強馬は何だ?』という話題で盛り上がるとき、少なくとも5人に1人ぐらいは、サイレンススズカの名前を挙げます。
 でも、ちょっと冷静に考えてみてください。
 私は、サイレンススズカの本当の実力と言うのは、宝塚記念の走り程度だったと思うんです。
 2着にステイゴールドを挟んで、絶不調のエアグルーヴまで1馬身。
 グラス&エルコンドルを破ったと称えられる毎日王冠にしても、このとき、勝ったサイレンススズカから、3着のサンライズフラッグまで7馬身半。
 宝塚記念でのサイレンススズカサンライズフラッグの差は約5馬身半。
 広がった2馬身は、距離適性の問題で、負かした相手は派手だったけれど、サンライズを物差しにすると……こうすると、真の姿に一歩近づけるような?

 つまり、理論的に説明するなら『並みの一流馬』だったと思うんです。
 エアグルーヴがまともなら宝塚も分からなかっただろうし、翌年、本格化を果たしたスペシャルウィークや、復調したグラスワンダーを相手にしたら、多分、勝ったり負けたりを繰り返したんだろうと思います。

 でも。
 秋の天皇賞
 後続を200m、ハロン棒1つ近く離したまま、彼は、幻になってしまって。。。
 ファンの心に残ったのは、誰も逆転することなどできないと思われるほどに、途方も無いリードを作り上げた彼の速さ。そして、残り600m地点での差が、そのまま、ゴール地点での着差であるかのような錯覚。
 もしも彼が、ゴール板まで走りきったとしたら……どうなっていたのでしょう? 

 なんて、スズカ否定論みたいなことを書きつつ、実は私も、いまだに、その幻影に憑りつかれている1人です(^^;)
 毎年、秋の天皇賞を見るたびに、ふと考えてしまいます。
 サイレンススズカが逃げて……大きく離れた2番手にローエングリン
 直線に向いて、ダンスインザムードが捕まえに・・・そこへ満を持してゼンノロブロイ・・・馬群を割ってはアドマイヤグルーヴ・・・大外からツルマルボーイ・・・やっぱり誰も届かないような(^^;)
 みなさんは、どう思いますか?
 私の中の秋の天皇賞は、やっぱり今年も、サイレンススズカの圧勝でした。
 私の秋天は、まだ、1998年のままのようです。
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 いつか、サイレンススズカよりも鮮烈な馬は現れるのでしょうか?
 そのときは、なんとしても不幸な事故とは無縁な、全馬が完走できるレースであって欲しいと願います。
 きっとサイレンススズカも、空の上から、何よりもそれを願っていてくれるんじゃないかな〜。。。(^^)